りんごの木が成るまで

日々感じたこと、想い

過去は振り返らない、過去には縋ってはならない

最近、自分自身の身の上のこと、家族のことで大きな変化があったからか、はたまたAmazonプライムビデオで昔観ていたアニメを観ているからか、過去を思い出すことが多くなった気がする。

僕は『過去は振り返らない、過去には縋らない』を信条にしている。
過去はあくまで現在の自分を構成する要素でしかない。
そして未来を紡ぐための必要不可欠の鍵という位置づけにしている。
過去の栄光、昔の彼女との想い出、家族のとの想い出.......etc
懐かしいと思うことはいいけど、振り返ってしまうのはよくない。
だいたい過去を思い返す時は精神が不安定な時だと思う。
そういう時は安定を求めて、安定していた時の自分や想い出に縋る。
振り返ったら最後、過去に飲み込まれてしまう。
でも過去は必要だ。過去がないと現在の自分の定義がなくなる。
過去はよき隣人だが、距離を適切に捉えないといけない。

たまに、自分は何かが欠陥しているのではないかと感じることはある。
それは生活が安定すればするほど、生活に刺激がないと感じ、覇気がなくなる。
やがて自分でこの安寧を壊してしまうのではないかと、昔考えたこともある。
それはなぜか。その答えは過去の自分にあると考える。
1つ目の考えは、安定した生活を長く送ったことがないからではないかと思う。
家族仲はそんなに良くなかった。
僕自身もひとつのことにハマると周りが見えなくなる性格が災いして、あまり良い青春は送らなかった。
人と深い仲になったことがあまりないからか、自分に自信がないからか、仲良くなりそうになると距離をとる。
これは元の性格と環境が負の方向に絡み合ってしまった結果.......かもしれない。
2つ目は、未来への恐怖ではないだろうか。
いや、適切な言葉で表現すると、過去に縛られてるからだろう。
過去には縋らないが信条なのに、深層では過去に縛られてる。
滑稽な話だ。
幸せな未来を想像できない。いや想像することから逃げているんだと思う。
辛いことがあるとすぐ逃げてきた。

さすがにもう大人なので、衝動的には行動はあまりしない。
執念深い性格なので、過去のことは忘れたくても忘れられないが、過去を思い出しそうになったら自分でストップするようにはなれた。
昔は思い出の地を巡ることもしたこともあるけど、過去を思い出すことが目的の土地巡りはもうしていない。
過去Twitterで元カノに振られてみっともない姿をさらしたこともあるけど、あの時よりかなり成長したと思う。
あの時から立ち直れたのは新しく出来た友達たち、豚や牛、その当時は野良だった我が家族猫みけとしま。
本当にありがとう。

このブログで伝えたいことは、過去に囚われてもろくなことがないということ。
それと囚われても戻ってこれる居場所をつくる、大切にすること。
自分の定義を増やすこと。
ここらへんは週刊少年ジャンプのアクタージュの言葉を借りてるけど、とても大切なことだと思う。

未来はきっと明るい!
それでは~。